
2023年の幕開けが寿司テロ、バイトテロなどの炎上動画でにぎわうとは思っても見ませんでした。
数年前あれだけ世間をにぎわせ社会問題にもなったはずのことがまた繰り返されるなんてなぜ?と思います。
- コンビニ店員が商品のポテトをかじる姿を動画で投稿
- 他人が注文した寿司を回転すしのレーン上で箸で横取りする動画
- 回転ずしのレーンに回っているお寿司にワサビを乗せている動画
- 回転ずしの湯飲みや醤油さしをなめている動画
- 回転ずしの店内で服を脱ぎだす動画
2023年が始まって1か月しかたっていないというのに、毎日のようにネットでも、TVでもニュースになっています。
どうなっちゃったの?
そして、そのニュースを見て、お店を応援する声や、お店に行けなくなったという声などがSNS上をにぎわせています。
がんばれ!とお店の方々を応援したい派です。
そもそも、なぜ発信するの?
SNSをやる目的とは一体どこにあるのでしょうか?
SNSに限らずとも発信の目的でもよいです。
少なくとも、自分以外の誰かにどうしてもらいたいからSNSをやるのでしょう?
ビジネス運用、個人運用関係なくそれは
「共感」を生みたいからではないでしょうか。
発信したものを第三者が聞いたり見たりし、発信の内容に何らかの共感を得て、「いいね」をしたりコメントをいれたり、リツイートしたり、シェアしたり…という行動が生まれてその数が多くなることを喜ぶ人はいますし、まさか、たくさんの人には見られないだろうと思っている人もいます。
そもそも、発信とは自分以外の誰かの「共感」を得たいがために発するものだと私は思っています。
想像力の欠如が原因
この見るのも聞くのも気持ちの悪い動画をSNS上にアップしちゃった人たちも、たぶん誰かの共感を得たいのだと思います。
「まさか、友達以外の人が見るとは思っていなかった」
という言動も見ましたが、その友達にどう共感してほしかったのでしょうか?
「おまえすごいな~!」と言ってもらって自分がうれしくなっている姿を想像したのでしょうか?
本当はその友達も「こいつやばいし、バカだよな」と思っているかもしれないのに。
ここなのです。
発信して、じゃないな、
行動してそれを見た人にどう思ってほしいのか想像しなさい。
ということなのです。
想像力の欠如がそもそもの原因だと私は思います。
想像力が少ない人の傾向は、
自分が喜んでいる姿がゴールになってしまっているということです。
発信して友達が注目してくれて喜んでいる自分。
発信して、上司に褒められている自分。
宣伝して、儲かっている自分。
ゴールはすべて自分の姿です。
発信を見て感情が動いている他人の姿などみじんも想像しておらず、他人がその発信を見て不快な思いをするなんて誰でも想像できそうなことを想像できないでいる。内心「こいつバカ」と思われていることすら想像できないのです。
ネット上から一生消せない傷となって残る
私には、そういう思考回路の中を生きている人たちをどうこうする力はないですし、カウンセラーでもありません。
けれども、少なくとも他人を不快な思いにさせたくない人に対して、今回の炎上から学んでいがだく機会を持つことはできます。
どうすれば、我が子がそういう子供にならないですむのか。
どうすれば、わが校の生徒がそういう生徒にならないですむのか。
どうすれば、従業員が自社に迷惑をける従業員にならないですむのか。
炎上騒ぎの発端となった人はどういう考えでそうしたのか?
そのことによって何が起こったのか?
そのことを未然に防げたのか?防ぐにはどうしたらよかったのか?
誰がこれによって迷惑をし、どういう罰がくだったのか。
例をあげるなら警察に届け罰せられるかもしれない以上に、ネット上に名前と住所と顔が本人のみならず家族までさらされそれはもしかしたら一生ネット上から消せない「傷」が残るということです。
ネット上から消せない「傷」
周りも迷惑、被害を被る、自分自身の未来も、家族の未来にとっても大変な迷惑になるということを伝え、事例を共有し、どうしたらよかったのかを考えさせ、想像できるようにしましょう。
「バズる」と「炎上」は天地の差です。
バズると炎上はどちらもインプレッション(表示回数)やいいねなどのエンゲージメントの数がものすごい数をたたき出します。
炎上商法などという言葉があるくらいですから、どちらも数が稼げるなら…と思う方もいるかもしれませんが、
炎上の先にあるのは「損害」です。その損害の額は過去の例では10億円にもなったという話もあります。
では、バズるとは一体何なんでしょう?
もちろん、バズって商品がバカ売れした。ということもあるでしょうが、炎上との天地の差はそれを見た人の気持ちの差ではないでしょうか。
ポジティブな感情であふれた「バスり」
ネガティブな感情であふれた「炎上」
ポジティブにはポジティブが集まり、ネガティブにはネガティブが集まってきます。
ネガティブだからダメという話をするのではなく、ポジティブな感情の世界がどれだけ心地がよい世界なのかを経験させることが大切なのではないかと私は思います。